ボランティアスタッフを募集します!

灯篭作り及び当日の灯篭打上げのスタッフを募集しています。

年齢性別を問いません、大勢の方のご参加をお待ちしています!

(げんき館おおぶちの室内運動場が準備会場です)

ご連絡はこちらまで   TEL 090-1514-4018 実行委員会 谷口

2024年度 大淵献燈祭準備スケジュール

和紙で手作りした灯篭を人の御魂に見立て夜空高く打ち上げる大淵献燈祭は今年で第10回目を迎えます。人口1000人のムラに始まったお盆の新たなお祭りは、地域外からも多くの人たちが参加し、夜空に浮かぶ燈篭に感動の一夜を過ごします。

わが故郷は「魂」の安らぎの場所

2014年8月15日、その年に亡くなった人の数の燈篭を空に打ち上げ、御霊を供養しようとの思いで始まった「大淵献燈祭」。今年で10回目を迎えます。地域内のみならず県外からも、かけがえのない人の供養のために大勢の方が参加します。

日本では古くから、お盆には故人の御霊が帰ってくると言い伝えられています。私も子供のころお盆に帰ってきた精霊が寂しそうにまた戻っていったという体験話を祖父に聞かされました。この地方では現在も「精霊迎え」「精霊送り」の風習が続いています。

4年前に私たちが始めた「献燈祭」は、和紙と竹ひごで作った燈篭を故人の御霊になぞらえ、これに火をとぼし、空中へ舞い上げて「精霊」をお送りしようというものでした。

燈篭には糸が結びつけられており、その糸のもう一方は短い筒に巻き取られ、丁度タコを上げるように燈篭を上げていきます。その高さは約30m前後でしょうか。燈篭が上昇していくスピードやその力は想像以上で、献燈する人は皆、感無量の表情で空高く舞い上がりグイグイと引っ張る燈篭の糸を手に握りしめています。まるでその糸の先の故人の御霊と繋がっているかのように・・・。

誰かが言いました・・・ここへやってくるとなぜか心が安らぐ・・・この大淵はそんな「魂」のやすらぎの場所なのかもしれません。

燈篭はすべて手作り、一つ一つ思いを込めて作り上げます

燈篭は和紙と竹ひごで作ります。まずはロール状の和紙を裁断する作業からです。幅128㎝の和紙を長さ185㎝にカットしていきます。これが4枚で一機の燈篭の胴体部ができます。4枚を張り合わせていく作業はとても根気のいる作業です。糊づけが不十分だと燈篭は空に舞い上がりませんから・・・。注意の上にも注意をはらい、一つ一つ大事に張り合わせていきます。


次は竹ひご作りです。直径10㎝以上の「真竹(またけ)」と呼ばれる竹を竹林から切り出します。これをまず8等分し一定の厚みと幅に仕上げていきます。これを今年は115本作らなければなりません。熟練を要する仕事です。またとても根気のいる仕事でもあります。長老に指導を仰ぎながら会員一同懸命に作業に励みます。

 

出来上がった長さ3mの竹ひごを丸めて輪っぱを作り、灯篭の底辺部に糊付けして完成です。


竹ひご作成風景

燈篭に故人の名前を記す

燈篭には故人のお名前や各家の名前を書いた紙を貼り付けます。


あの人にきっと届く!

燈篭の打ち上げは親族や縁故の方に行っていただきます。この際に、前もってお預かりさせていただいた献燈者からのメッセージがアナウンスされます。生前にどうしても伝えられなかった思いや、今だから言葉にできることなど様々なメッセージが読み上げられます。

 

メッセージはきっとあの人に届くと私たちは信じています。


燈篭に自分の名前や思いを記す

献燈祭は3部構成からなっています。

  • 第1部:先人への感謝    先人への思いをこめて燈篭を一斉に打ち上げます。
  • 第2部:献燈祭       故人やご先祖様を追悼し一機づつ燈篭を打ち上げます   
  • 第3部:未来へのともしび  未来への希望を込めて燈篭を一斉に打ち上げます。 

 

第3部の「未来へのともしび」で打ち上げる燈篭には、自分の名前や想いを書くこともできま す。  ( 前もってスタッフが準備をいたします。) 


赤い炎が・・・なぜか心を揺さぶる!

大淵献燈祭実行委員会は現在、約60名。50代から60代のカップルがその大半です。でも燈篭の打ち上げに必要な人員は1機あたり3名。当日は更に別途40名近くのスタッフが手伝いに集まってくれます。燈篭の赤い炎が私たちに何かを語りかけてきます。天に舞い上がる炎を見ていると、なぜか胸が熱くなります。

私たちはみんな、この祭りに惹かれています。

 

この夜、この空間にたたずむすべての人が、私たちとおなじ思いを感じていただくはずです。一人でも多くの方に足を運んでいただき、夏の夜の感動のひと時を共に過ごしていただきたいと願っています。

南朝ゆかりの地・・・「大淵」そして「矢部川」

まだこの矢部川に名前すらなかったころ、その源の窟屋には一人の女神が住み給うた。この川のほとりに人が住み、暮らしを営み始めたのはその頃のことです。この土地で子を産み、育て、産み、育てながら、暮らし続けるうちに、自分たちの住む土地を、この川の大きな淵にちなんで、「大淵」と名付けました。

六百八十年前にこの矢部川のほとりが突然、歴史の表舞台に登場することになります。南北朝の九州における激動の時代の幕開けです。

ここに初めてこの大淵の者たちは天皇の系譜に当たる二人の皇子(みこ)に出会うことになります。そしてその方たちのために惜しみなく力を尽くしました。

その歴史はここ大淵の、今に語り継がれる「誇り」であり「自信」であるのです。

南朝は滅び去ってもその志は人々の中に残り続けています。南朝の忠臣、五條頼元の末裔は今もこの土地に暮らしており、この存在はここに住む者たちの誇りです。

 

福岡県南部、熊本県との県境に位置するここ大淵は、今から六百八十年前に始まる南北朝の動乱期に、九州の要衝として歴史に登場する由緒ある地域です。現在も毎年9月秋分の日には、五條家に伝わる国の重要文化財、金烏(きんう)の御旗、五條文書の一般公開が行われます。


ステージは、元小学校跡「 げんき館おおぶち 」

大淵献燈祭のステージは130年にわたりここ大淵の子供たちを育み、また地域の文化の中心的存在であった大淵小学校の跡地です。13年前に廃校になり体験型の交流施設に生まれかわった「げんき館おおぶち」、私たちの住むこの谷間のムラでは貴重な広場であり、またここの体育館がなければ燈篭作成の作業をすすめることは全くできません。

 

この場に仲間が集い、燈篭制作や準備に汗する様子を見るとき、先人たちの篤いエールを感じずにはおれません。